あさはかなふかぼり

あさはかなふかぼり

みみさんという人の話し_序章

そうだなあ

いまから10年以上まえのこと

 

当時、わたしの勤める会社が運営している

とあるお店のお客様は

綺麗な人が多い、素敵な人が多い

ゆたかで、アンテナが高くて

お行儀がよくて…と、ほうぼうからいわれて

わたしがいわれたわけでもないのに

嬉しくて。嬉しくて、わたしも見習った。

 

そんで、マーケター 一年生だったわたしは

「この店の価値は、来てくれてるお客様がたが、それなんだ」って思ったの。

もちろん、いまもそう思ってる。

 

そのことを、当時お付き合いがあった

広告代理店さんがたにそれを伝えて

コンペをしました。

いろんなご提案をいただいたけど

そんなかで

わたしは、強く、これだって思った企画があったの。

それを社内で通すのは

その頃のわたしには

いがいと難しかったんだよ。

 

当時、声のとどかないくらい偉い人たちが、

勢揃いしているような席で

震え声でプレゼンして

反対意見をされたときに

まだ、若かったしね

泣きながら反論したりしたのは

今では恥ずかしいね。

ただ、其の後、これは社内でも賞をいただいたんだ。

 

すったもんだあったけど

とおったんだよね。

赤子がなんかいってっけど

まあ、やらせてあげよっか

くらいのそれだったのかもしれないけど

でもわたしは、

本気だったから、とにかくやれたことが

嬉しかった。

 

企画の内容は

「直接的な、商品宣伝にはならないかもしれないけど、うちの自慢のお客様のライフスタイルを、テレビで見せて、とにかく自慢するんです!うちのお客様は、素敵な人がいっぱいいるんです!こんな素敵なお客様がいるお店、そして、その方々が、この店を大好き。わたしのお店って、言ってくれてるんです!わたしは、これを自慢することがしたいんです。」

 

でした。

 

が、わたしは店頭にはいないので

 

そこで

店頭にいる、店長さんたちに

そういうお客様の代表みたいな

素敵な方を紹介していただいたんです。

そのひとりが、みみさんでした。

 

 

みみさんは、

商圏のなかでもとりわけ

素敵なひとがいる

高級住宅地にお住まいでした

 

 

 

 

いがいとというかなんというか…

気さくというより

うん、なんていったらいいんだろう。

 

 

へんな人でした。

 

 

 

 

あしたにつづく。

 

 

ブログが書けなくなった理由

ひさしぶりにブログをひらいた。



ブログについてだれかに

なにをいわれたわけでもないけど


仕事のことで

自信という自信がぽっきりもがれて

わたしがなにかに言及する

資格なんてないって

おもってしまった。



いい気になっていたなーと

おもう。


おもしろいね

と、言ってくれる優しい、頭のいい人たちがいて

その人たちがいうことはきっと

「だからもっと頑張りなさい」

という厚意。


なのに

それを

鵜呑みにして

わたし、ちょっと面白いのかも

なんてさ。調子にのって。



実際の仕事の現場では

誰しもが

わたしがもしかしたらちょっとだけ面白いかもしれない

なんてことは

どうでもよくて

失敗ばっかりする奴でしかなくて


いや、失敗する奴は他人にとって

面白いからそれはまあ、いいんだけどさ


つまり

なにに挫折したって

失敗ばかりの自分が

他人になにかアドバイスするようなことなんて

ないだろ

無様だな

いつもそうだよな

調子に乗ってると

こけてよ

そんなんでなんか偉そうに

なかなか、なんだ

とかいったりして

せいぜい数いいねいただいて

ふわっとなって

またなんか言ったりしてっけど



おまえ、いったい誰?



わああああああああ!!!!




みたいな自意識で挫折しました。

そう。

自滅です。



ブワーンと車を

速度80キロくらい(たいして無茶してない)はしらせてたら

自意識の壁が


っ、だーん!!

って急におちてきて事故ったし

しかもそれ自分で落としたやつだし

保険が何対何できいたとしても

どっちも自分だし!!!!








しかし、自意識とは恐ろしいものですね。

今日、仕事で書いた記事を、

見ていただいた方に


「文章がいいですね。普通に、どっかの公式な記事みたいです」


と、言われて。



いや…普通に(そっちは)公式記事なんですけど…と思いつつ、 久しぶりに肯定されたことに対して 非常に嬉しくなりまして。



優れた方々からしたらまったく くだらないことかもしれませんが わたしのような 普通の人間は そんなことで
やる気になったりします。

 

そんで

またこうして

自ブログを再開したりしています。




また調子にのっては

自滅するんでしょうね。

ははは。



繰り返しです。

もう、ペットは飼わないとおもっている話

愛犬のぴぴちゃんが旅立ち
一ヶ月が経ちました。

先代の愛犬スパッツが、生まれつきの病で若くして亡くなり、うちの人のペットロスによる症状が大変切なくて、迎えたコだった。

もの凄く愛した。





やがてうちには、おもいがけず人間のあかちゃんがやってきた。
人間のあかちゃんは、犬のあかちゃんたちより成長が遅くて凄く手がかかる。

ほっといたつもりはないけど
ほっとかれたと感じた時期が
ぴぴちゃんは、凄くあったと思う。
生きる期間が短いぶん、
犬が感じる時間感覚は
きっと人間よりずっとながいから。


うちの人とわたしの
犬と暮らし始めたその頃の状況も
どんどん変わっていった。
働きざかりだからね
そりゃあるよね。
ただ、そのころはわからなかった。

忙しくなって、就業のじかんがながくなって
どんどんながくなって。
いろんな人との(人としては喜ばしいことだけど)付き合いがふえ
さらに、転職したり、転勤があったり
家を空けてしまう。



ペットはわたしたちより早く
年をとる。
介護状態や病気になっても
人間の病気でさえ
他人には理解しづらい部分も多いのに
ペットが病気で…ペットの介護で…というのは
わたしの職場はとてもあたたかいとこなので
理解があって本当に幸せなんだけど
理解してもらえないことのほうが多いみたい。
そして、いまの上司たちだから良かったとしてもその人たちがいつまでも上司とはかぎない。



そもそも
いつ職を失うかなんてわからない。
そうなったときに
高額な治療費を
払いつづけることも
いまはできても
いつかできなくなるかもしれない。


ましてや、自分が突然死んでしまうことだって
なくはない。

協力状態でお世話をしているパートナーをうしなうこともあるかもしれない。


人生には想像もつかないことがおきるでしょ?



酷いこというけど
動物の死体は燃えるゴミに出せるってしってますか?
事故は物損扱いだってしってますか?

悲しいかな、動物はもしも飼い主が飼育してできない状況になったときには
人間みたいに保護してもらえない。



ちゃんと、そこまでの覚悟と用意できる人が
ペットを飼うしかくのある人といえるのでしょう。
残念ながら、わたしはしかくもないのにペットを飼ってしまい幸い自分がなんともないうちに
ペットを喪ったんだと思います。




それをぴぴちゃんが身を持って教えてくれたとまては思いませんが
今ペットを飼い始めようかな?と
思っているひとへの
ちいさなメッセージです。




わたしはもう二度とペットは飼いません。
わたしには、ペットを飼う
しかくも覚悟もいまはないから。

ある蜘蛛の稼ぎ

うちの玄関先に
七月くらいから2匹の小さなくもがいて、
もっと嫌な虫を捕獲してくれるなら良いわよと
そのままにしておいていた。


彼らは、夜になると糸を貼り
朝になると、糸ごとどこかにかくれてしまうのね。

朝にわたしはいつも
くもよおつかれ。と、思う。




というのも
最初はそうでもなくて。



今年の七月は、とても暑くて
彼らのターゲットの小さい羽虫が盛んに我が家の玄関先にやってきて、その糸にかかった。


だから、七月はしばしば
彼らは大変で、朝になっても
うまく撤収しきれなかったりしてて、
まだそこにいたりして。
羽虫の死骸が酷くてと、それがかかった蜘蛛の巣もあまりにもで
蜘蛛ごとはらっていたのよ。
でも、殺しはしなかった。


わたしが彼らじたいを
無論好きなわけではなくて
若い女の子みたいに
いやーん!虫きらーい!
などとのたまいつつ
これまで長年いきてきた逞しさを誇るかのように、いやああぁぁぁ!でもすまん。たる
毅然としたムシコロリ的な防虫策をとることは
考えなくもなかったけど、
夜蜘蛛は、神様のお使いと小さい頃にきいていたせいか、ただ面倒だったのかは自分でもよくわからない。



だからなのか、また次の晩には
おなじとこに蜘蛛がいて。




8月は、異例なほど涼しい夏になり
わたしの職業の商売にも
一部的にだけど影響がでたくらい。
今年の東日本は、へんな夏だったね。


そう。
だから、寒いから。
羽虫は盛んには発生することなくなって、軒先には、たいして集まらなくなった。
でも、かれら蜘蛛は7月にわたしがあんなにはらったにもかかわらず
まだそこにいた8月。


あの7月のフィーバー時代を、忘れることができないのかしらね…。
と、そのときは思った。

多分もうあんなフィーバーは
あなたがたが生きているあいだにはもうないから。
ほら、こんなに風が冷たくなってる。
別の猟場にいきなさいよ…

ところがいみじくも
あっ、このうちのおかあさん!わたし、夜しか出しませんから!朝になるまえに、撤収しますんで!
なんて聞こえてくるようであるのです。



そして、彼らはまだうちの軒先にいて、
朝晩と設営撤収をつづけているんです。
彼らの寿命を考えてみれば
こんなに永くつづけているんだから
きっと、この稼ぎで充分なのでしょうね。



秋風が吹く吹く
今日この頃。
わたしも、彼らのように、これで充分という生き方をしたいな。
と、共感するあまりに
今もやっぱりムシコロリ的なことをできずにいます。

常識とは

非常識なことが起こると
普通こうじゃ、ありませんよね?

普通じゃないですよね?

と、
自分常識が、おかしいのかな?
って、相談されることがよくある。
けど。


いやいや
常識というのはね
あいまいなもので。


それで傷つけられるようなことが
あったとしたら
良くないけど
自分の常識外であった、ということだけで
腹をたてたりするのは
自分がすり減るだけですよ。


それでもどうしても
いやだとおもうなら
自分のなかの常識に
しっくりくる場所に移っていいんですよ
選べないと思っているのは
自分だけで
本当は選べるはずなんですよ。

【接客シリーズ】商品説明ははなしをきいてから


店内におきゃくさまがはいってきました。


なにかをじっとみつめています。



そのとき、あなたは
どんな声をかけますか?




どんなんでもいいから声をかけなさいと
教えられている新人店員さんが
多いとおもいます。
もしくは
「可愛いですよね」
「今日入荷した商品です」
「最後の一枚です」
このなかのなにかをいいなさい。
と、言われている人も少なくないんじゃないかな。

これで
ツンとされちゃうことが多いから
お客様は接客されたくないんじゃないかな
なーんて、思っていたら
ちょっとわたしの話をきいてみてね。




だいたいの店員さんが陥る罠はそこなんです。
上手な接客とは
自分がとにかく喋りたおすことって
思ってるの。



だから、空白の時間が怖くて
隙間は、意味もなく「あはは、うふふ」
で埋める癖につながる。




大丈夫!
あなたは、話さなくて大丈夫!
安心して!

ただし、聴いて。
お客様が、どんな人で
なにが欲しくて
ここにきたのかを。



接客が上手な店員さんとか営業マンとかは
ね、
はなしがうまいんじゃ、ないの。
はなしを聴きとることが
うまいのよ。



人間には
誰かに自分のはなしを聞いてほしいという
本能的な欲求があって
それを満たしてくれた人には
お返しをくれるものなの。
逆だとしたら、
ああ、この人には
わたしの気持ちは、伝らないから
もういいや。ってなっちゃう。

だからプイっと、ツン、とされちゃうんです。



そして
だいいち、はなしを聴かなきゃ
なにが欲しいのかすら
わからない。
その状態で、商品のおすすめをするということは



おしつけでしか、ないのですよ。

女性を、奥の席に座らせない男は論外

飲食店の奥の席って、だいたいソファー席だし
まあ、まず上座ですよね

ビジネス的な会食の場合なら
客か上司は、
奥の席へ誘導しますよね。


ただし
男性が客or上司だった場合って
みなさんどうしてますか?
わたしは、ビジネスシーンにおいて、
限定でいうと
心情的にはどっちでもいいんですが
客or上司に恥をかかせてはいけないとおもうので
すすめられても
すすめられなくても
奥の席にに座ります。
女性ですから。



ビジネスシーンの心情的には、どうでもいいんですが
プライベートアイでみたときに
それはなんだか
男の人としてみっともないと
映るんです。


ああそうね。



天然で、ダーンと奥席に座っちゃうような
男性は
だいたい店員さんに
初対面でタメ口で
横柄な態度をとる方が多いわ。


そういう方とは
いくら天然で
悪気がなくても
「もう2度とご一緒したくないな」

おもいます。


だってそういう方って
わたしはおろか
わたし以外もそう
自分以外のひとは
どうでもいいんだもん。
どんな関係だったとしても、
その未来を描けないわ。



最近の風潮での
女性上位的な考えっておもう?
そんならそれで非難されてもいいけど
そういう意識ないのって
自分さえ良ければいい人なんだなって
思われちゃうよ



モテないよー?
男からも女からも。